「二次創作」という文化についての問題提起
今更ながら、2020年頃にはてなブログで「私は自分の作品の二次創作が嫌いだ」という内容の記事が投稿され話題になっていたようだ。
現在該当記事は削除されている為、抜粋されたまとめ記事などを参考に内容を推察する以外に手立てはない訳だが、やはりというか案の定Twitterを始めとするオンライン上では、記事に対する否定的な意見などで溢れかえっていた。
「二次創作をする人に、“作者は本当は嫌がっているのではないか”と疑念を抱く呪いをかける」というブログ作者の意向を慌てて払拭するかのように、「呪いを解くワード」、つまり「自分は二次創作全然オッケーだよ!」などという投稿をする作家も複数人見られるような状況であった。
ブログ作者の「自分の作品の二次創作によるストレス」に寄り添うような意見も作家側からいくらか見受けられるが、それでも最後に「まぁ、自分はOKなんですけどね、色々な意見がありますよね」というような“お茶濁し”をしなければいけないような有様である。
「実は自分も二次創作が嫌いだ」と、ペンネームを明らかにして表明する作家は、おそらくついぞ現れなかった。
これが現状の「二次創作」文化を巡る現状といって良いだろう。
つまり、「二次創作者に呪いをかけた」ブログ作者が感じていた怒りや不満は、詳細は確認できないが概ね正当なものであったと言う事だ。
かく言う私も長年二次創作に親しみ、自ら二次創作作品(ファンアート)を同人誌という形にしたり、Twitterやpixivで一般公開したりと二次創作文化における楽しみを享受している。
しかし、とある時期に二次創作から遠ざかり、いわゆる「二次創作オタク界隈」から距離をとっていた間に色々見えて来るものが多かった為、「二次創作」という文化自体への問題点がクリアに見えて来る事があった。
そもそも、一概に「二次創作」といっても作風は多岐に渡る。
全ては網羅出来ないが、
①カップリング要素のない作品
(例:オールキャラギャグ、ほのぼの)
②カップリング要素のある作品
③エロ・グロに該当する作品
この三つに簡単に(恐ろしくざっくりだが)分類する事が出来るだろう。
カップリング作品とは、キャラクター同士の本編にない性愛関係の描写を含む作品のことなので、当然②と③は混同し得る事がある。しかし①と②、③が混同する事はまずない。
私は二次創作の対象になるような作品の作者ではないので予想でしかないが、恐らく大半の原作者は①は許容できるのではなかろうか。
「自分のキャラクターが好き勝手に使用されている」という不満は二次創作全般にわたるものなので内容如何によって解消されるものではないにしても、キャラクターイメージを大きく損なう描写がない限りは、自分が作家の立場であったとしても「どうぞお好きに」と許容出来るように思える。
何よりも問題は、②と③についてである。そして②と③は、「ごく一部」とは全く言えないレベルで二次創作界隈の主流とも言える作品傾向であり、それについてユーザー(二次創作する側、それを見る側)がほとんど無自覚である点が、事態を更にややこしくしていると私は考えている。
まず②については「キャラクター同士の原作にない恋愛関係」という事で、それだけで「キャラクターイメージを大きく損なう」事例に該当する可能性もある。
これは男女カップリングだろうとGLだろうとBLだろうと同じ事が言えるが、作者が本編で描いていない人間関係、感情的な繋がりは、意図して隠されていない限り基本的に存在しないのである。
「存在しない人間関係(感情的な繋がり)を発生させる事」は、そのキャラクターの“人格”とも言える部分を根本から捏造しなければならない事にもなる。
それが作者から見れば、「自分のキャラのガワを着た別人」に見える事も当然あろうし、「自分が設定したキャラクターを都合よく利用されている」と捉えられる事もあるだろう。
そしてユーザー側が、この「キャラクター人格の捏造」を正当化できる理由などない。
キャラクターの権利を保持するのは作者、場合によっては出版社を含む制作会社であり、ユーザーが報酬を支払って持ち得るのは基本的に「その作品を閲覧する」権利のみだからである。
もちろん、権利保持者が二次創作を禁止にしていない限り、二次創作者がどんなにキャラクターの人格を捏造しようと法的に罰せられる事はまずないだろう。
これは多くの方が推察しているように、作者および制作会社にとって二次創作者は「顧客」のうちの一部である事から、おおやけに二次創作を禁止する事は少なくない損失が伴うと言うビジネス上の理由から来る「グレーゾーン」という名の措置とも言える。
忌憚ない言葉で言うなら、出版社は金さえ稼げて損失が少なければ作家の気持ちなんて知ったこっちゃないだろうが、作家の側からしたらどうだろうか、という話である。
「作家の権利が守られていると果たして言えるだろうか?」という事は、少なくとも二次創作を嗜む多くのユーザーが、グレーゾーンだからこそ考えなければいけない問題である、と私は考えている。
そして③エロ・グロについてだが、これは「カップリング要素のある作品」の比にならないレベルで「キャラクターの人格」を捏造し、かつ「キャラクターのイメージ」を貶め損なう事に寄与していると言っていいだろう。
(※グロはともかくエロは描写によって「強いポルノ描写」を含むものと「ストーリーの一環としての性描写」に分類する事が出来るが、これは明確な基準が存在せず主観での判断になる為、一律で「エロ描写」として分類せざるを得ない)
本編でそのような描写のないキャラクターの「エロ・グロ」を捏造するという事は、「自分の(性的)欲求を満たす為に一方的にそのキャラクターを捌け口として利用している」事である。乱暴な言葉で表現するならば、「自身の専属オナホ」「専属サンドバッグ」として扱っている事と、何が違うと言うのだろうか?
インターネット上では「キャラクターの“エロ”を描く事は愛情表現の一種なのだ」という意見が主流であるが、ある対象を「エロいもの」として扱う事が「愛情表現」とするならば、性的嫌がらせ(セクシャルハラスメント)も「愛情表現」の一種になる。その対象が実在しない架空のキャラクター」であるとしても、作者や権利保持者は実際に現実に存在するのだから、「架空のキャラクターへの性的嫌がらせは存在し得ない」という論理は成立しない。権利保持者が問題視しない(あるいはできない)から明るみにならないだけである。
そしてその事を、法的にではなく社会倫理としてどう扱うべきか、という議論が全くなされないまま野放しになっている現状が、エロ二次創作界隈なのだ。
インターネット上で容易に過激なポルノを含むR-18(エロ・グロ)二次創作作品にアクセスする事が可能になっている現在、これらを“同好の士だけで“”内輪だけで”“密かに”楽しもうとするユーザーは見渡す限り殆ど存在しない。
“内輪で”という意識があったとしても、タップ1つで誰でもアクセス出来てしまうサービスを利用しているくらいがせいぜいの「気遣い」「配慮」といった体たらくで、多くの場合が「R-18」とは名ばかりの全体公開状態である。
中には、自身の作品を事実上の全体公開としている関わらず、閲覧の責任をユーザーのみに堂々と転嫁している二次創作者は決して少なくない数で存在する。(「嫌ならブロックしろ」「未成年はフォローしないでください」等)
更に、これを問題視するユーザーは少なくとも私の知る限りほとんどいない。
「好き勝手にリスクもなく表現する側」と「それを受けれ楽しんでいる側」しかインターネット上では尊重されず、そうではない意見は議論の余地もなく叩き潰されてきたか黙殺され、消えてしまっていたからだ。
上記の現状をもってして、作者(作品の権利保持者)が二次創作に対し「自身の作品を好き勝手に無責任に利用されている」と感じても何ら不思議はないし、むしろ正当な意見であり重要な問題提起と言える。
これは、作者が「自分の作品でエロでもグロでも二次創作して構いませんよ」と言いさえすれば済むという単純かつ矮小化された個人的な話ではなく、「社会として二次創作をどのように扱うのか」という側面の問題なのだ。
「ある文化をどのように社会で扱うか」について当事者(二次創作の場合、作家・ユーザー)、非当事者間でまともに議論もできない現状など、呆れるほど客観性がなく排他的で衰退的な文化のように思えるし、そこに「存続に値する」要素など全く存在しないだろう。
今一度、二次創作者やその閲覧者は、自身の社会性と向き合うべきではないだろうか。
「社会性がない」事をある種のステータスにしている人も少なくないインターネット上でこのような問題提起をしたところで更に排他的な傾向が強まるだけかもしれない。
しかし「二次創作を暗黙に許可する事により得られる利益」よりも、「二次創作を禁止する事により得られる利益」が上回ると企業や国家が判断してからでは、何もかもが遅いという事を二次創作者やその閲覧者は肝に銘じておかなければならないと思う。
「自分の好き勝手に色々やって、みんなに広い心で許して貰える自由」など、世界のどこを探しても存在しないのだから。